ご無沙汰していました。今日は、リハビリ的に「建国記念の日」についてちょっと考えてみたいと思います。「建国記念の日」とカギカッコをつけているのは、2月11日がそもそも日本国ができた日ではなく、国民の休日にすべきではない、と考えているからです。
私の立場は上の通りですが、ここは「建国記念の日」を祝う側の主張にも耳を傾けてみましょう。材料は、今日の産経新聞の社説です。そんなに長いものではないので全文引用させていただきます。
【主張】建国記念の日 神話が生きる国誇りたい
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100211/acd1002110255001-n1.htm
新しい国づくりの地を東方に求め日向国を出た神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)は、瀬戸内海を進んで難波、熊野へと至る。
そして大和を平定すると橿原(奈良県)を都に定め、「天地四方に住むすべての者が、一つ屋根の下の大家族のように仲良く暮らそう」という理念に従って天下を治めることとなった。これが「日本書紀」に描かれた初代神武天皇の即位の物語である。
明治の新政府は、天皇を中心とした近代国家の建設をめざし、神武即位の「2月11日」を紀元節と定めた。紀元節は先の大戦後に廃止させられたが昭和42年、「建国記念の日」として復活した。今年で44回目を迎える。
世界を見渡してみても、大半の国々は植民地から独立した記念日や、革命の記念日をもって「建国の日」としている。血なまぐさい戦いと引き換えに国家が造りあげられ、王朝の興亡によって歴史は断絶している。日本のように連綿と歴史が続き、神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという例は、むしろ例外なのである。
神話というのは、そっくり史実ではあり得ない。戦前のような、神格化された天皇に対する反省ももちろんある。しかし、記紀につづられた神話は、民族の生活や信仰、世界観が凝縮されたもので、単なる作り話ではない。
そういった意味で、日本の「建国」からは、古代日本人のものの見方や国づくりに関する考え方を読み取ることができる。神話は民族の貴重な遺産なのである。
戦後、多くの国民が建国を記念する日の復活を望み、政府も奉祝の記念式典を後援するなどしてきた。それも、日本の国づくりの歴史を通して、日本や日本人の生き方を考えようとしたからだ。
ただ残念なことに、平成17年以降は、政府の主催や後援による記念式典が開かれていない。このままでは、国民の「建国」や「国の始まり」に対する意識は希薄化してしまうだろう。今後は、政府が率先して記念式典などを開催することを望みたい。
建国当初の国家がそのまま現在につながり、神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた。この歴史に、国民はもっと誇りを持ってよいのではないか。その誇りがひいては、日本の国を愛し、日本の伝統文化や国語を大切にする心を養うことにもつながるだろう。
これのポイントを指摘しておきましょう。
(1)記紀神話が史実ではないことを当然に認めた上で、「建国記念の日」を祝うことに意義を見出していること。
(2)記紀神話を日本民族の貴重な遺産とし、これが「建国記念の日」を祝う最大の理由であること。
(3)建国当初の国家がそのまま現在まで続いているとみなし、他国と比較の上でこれを誇るべきものとしていること。
(4)記念式典に政府が関与していないことを憂慮していること。
だいたい、この4点にまとめられるのではないかと思われます。
で、私としてはこれを批判したいわけですが、注意したいのは、この社説において記紀神話が事実ではないことを認めているということです。「記紀につづられた神話は、民族の生活や信仰、世界観が凝縮されたもので、単なる作り話ではない」と述べてもいますが、神話が単なる作り話ではなく、ある一定の現実を反映してできたものであることは、どの神話にも言えます。ここで私が「記紀神話は事実ではないのは明らかだから、祝日にするのは愚の骨頂なんだ」といくら言ってみたところで何の意味もありません。
問題は、記紀神話を事実でないと認めたその先にあります。私が一番批判したいのは、上の(3)です。日本の歴史が誇るべきものとされている理由である、日本という国家の連続性です。
これについても、色々と事実を挙げ連ねて日本の歴史の中に断絶した箇所があることを示すことはできます。が、ここでそれはしません。問題は、建国当初の国家が現在までつながっているのだという観点に立った際に、国民みんなが日本の歴史に誇りをもてるのだろうかという点です。
重要なのは国民「みんな」という点です。社説としては、国民の中に日本の歴史に誇りを感じていない者がいることを問題にしているわけで、そうした人をなくすことが当然の目標のはずです。
ところが、建国当初の国家が現在までつながっているのだという観点を持ち出した瞬間にこれは不可能になります。この観点自体が、全てとは言えなくても大方の国民の賛同を得られるものではないからです。そもそも、仮に神武天皇が実在した、ないしは、神武天皇のモデルとなった当時の支配者がいたと仮定しても、彼を長とする勢力が支配していた地域は奈良盆地周辺に限定されます。それが広がる過程においては異なる勢力同士の血生臭い戦争もありました。古代においては、現在の南九州地方にいた熊襲や隼人、東北地方の蝦夷〈この呼称は大和朝廷側のものですが〉との争いがそうです。
また、社説が持ち出すこの観点は、沖縄と北海道には明らかに妥当しません。琉球王国や、アイヌ文化のことをどう考えているのでしょうか。
ということで、産経新聞をはじめ、2月11日を「建国記念の日」として祝う方々には、どうしたら自らの目的、日本の歴史に誇りを持ち日本を愛しその伝統や文化を大事にする心を持ってもらうことを実現できるのか、その目的の是非も含めて冷静になって考えてほしいものです。
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はじめまして、木尾原(ハンドルネームです)と申します。現在、とある大学の法学部に所属している、本を読み漁ることが好きな男です。
法学部に入ることを選んだのは、政治や社会のことに興味があったから(今でもありますが)でした。高校生のときから、家族間のことが原因で、人権や平和の問題について深く考えることを余儀なくされてきました。私が大学に入ったときは、ちょうど小泉構造改革が絶頂期にあり、新自由主義・軍事大国化が日本を席巻していました。
こうした動きに対して、私は反対の立場から学び、行動してきました。今年8月の総選挙で自公政権が倒れ、民主党中心の連立政権が誕生しましたが、前政権までになされてきた新自由主義・軍事大国化からの本格的な転換が目指されているかというと、残念ながらそうでもないように思われます。
このような問題意識のもと、このブログでは、現状の批判的な分析・把握をしつつ、本格的な転換をいかに目指すべきか、それには何が必要化など、つづめて言えば、現代日本の社会や政治、経済のオルタナティブについて考えていきます。こうした議論は、あまりなされていないというのが私の実感です。インターネットによる選挙活動が解禁されるかもしれない状況もあり、ブログ開設の運びとなりました。
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