普天間問題の行方・鳩山政権の矛盾が一番露呈した領域である。反構造改革と平和の声で誕生した鳩山政権だが、同時にアメリカの圧力も加わっている。
・よって民主党指導部は分裂している。鳩山も社民党も小沢の言説に期待している一方で、平野・岡田・北沢は日米同盟修復に傾く。
・これだけ政権が動揺するのは、運動と沖縄与論の力であることは明らか。
小沢支配はなぜ生まれたか―その必然制と矛盾・参院選対策と自民党つぶしが短期的な目的
・利益誘導団体支配の理由は、構造改革漸進路線を進めるべく、それらの同意を得る必要があるから。
・旧い政治手法を止められないが、旧い政治手法では新しい政治が実現できないところに矛盾がある。
・小沢の秘書逮捕と新しい状況
→与党は身動きがとれず、反応が鈍い
→民主党の重要な支持基盤のひとつたる大都市無党派層が離反
→このままだと民主党は小沢を切らざるを得ないだろう。第2、第3の小沢出現の可能性
→注目すべきは、小沢批判の世論が自民党に帰れとなっていないところ。保守二大政党制の動揺か?
新福祉国家の現実性・民主党政権の意義は次の2つの難問について、国民が深く問わざるを得なくさせたことにある。
→福祉の財政出動で財政は大丈夫か?消費税に頼らなければ大企業に負担するしかないが、それはどうなのか?
→日米同盟がなくても日本はやっていけるのか?基地問題の根本的な解決は?
大体はこのようなところでしょうか。先生は、講義の最後に、一橋大学を退職するに当たっての感想を次のように述べられました。
毎回の講義を90分で終えなければならないというのはいら立つとともに、苦労した。事実、講義の終わる時間になっても「あと5分」と言いつつも、それを越える延長を行っていた。
1990年に東大の社会科学研究所から一橋大学社会学部に移った。当時は、なぜ東大社研という研究だけしていればよいところから教育を担わなければならない学部に移るのかと、疑惑の目で見られた。学生を教育したい、学生と触れ合うことで自分の学問を磨いていきたいというのが移った理由だが、その選択は正しかったと確信している。
社会学部は、経済学をのぞく社会科学が集まっている学部で、非常に居心地がよかった。教授会も自由な雰囲気だった。
学生諸君から学んだことは非常に多い。毎回の講義やゼミでの質問、議論にハッとさせられることが多かった。企業社会について講義した際、某大企業の労働実態を紹介したが、その講義の後に学生から「先生、今日の講義を聞いて○×(筆者注:その企業)に就職することを辞めることにしました」と言われたこともあった。学生は自分の言説を真剣に受け止めていることを実感した。ゼミも講義も準備は大変だったが好きだった。
心残りなのは、学生の質問や問題提起に対して、十分な勉強ができなかったことである。時には早口で、時には大声でごまかしてきたが、今後はもっともっと勉強したい。
自分が研究者になったのは、学問の力で社会を一歩でも二歩でも前進させたかったからである。その思いは変わらない。みなさんにも、社会を良くする共同作業に、加わっていただきたい。ありがとうございました。
その後、渡辺ゼミの現役生・卒業生から花束の贈呈があり、最終講義は幕を閉じました。
以下、私の感想です。
講義に先立つ挨拶で、吉田先生が渡辺政治学の神髄を、その視野の広さと全体性と体系的であることに求めていました。私が現在の政治学全体を見渡して痛感するのは、これの逆です。つまり、現代の政治学は、視野が及んでいない部分があり、部分的であって、細分化が進んでいて体系的な理解が困難であるということです。
詳述は割愛しますが、渡辺政治学は、統治機構など支配構造の分析のみならず、政治がもたらす矛盾と困難にも真摯に眼をむけ、その解決の道筋を明らかにしている点が、他の政治学の学派(こう呼べるものがあるかは議論の余地がありますが)と比べて際立っています。私が惹かれたのもそこでした。
渡辺先生の学問的功績は非常に大きいものがあります。同時に、残された課題も山積しているわけですが、それは日本社会の課題であり、私たちの課題です。微力ながら、このブログを通じて、そうした課題の解決に貢献したいと強く思います。
渡辺先生、研究と社会運動への貢献は今後とも続くのでしょうが、20年もの一橋大学でのご研究、本当にお疲れ様でした。先生の講演や著作を通じて、政治と社会を見る眼を養うことができました。誠にありがとうございました。これからもお元気で。