自民党憲法改正推進本部が3月4日に憲法改正の論点整理の要旨(以下、「論点整理」と記述)を発表しました。この中に、「民主主義国での兵役義務の意味と、軍隊と国民の関係を検討する必要があるのではないか」との文章があり、これを共同通信が「徴兵制導入を示唆」と速報したことからネット上でも様々な論議がなされています。
1.「論点整理」をめぐる議論の問題点 この「論点整理」に反対する立場からのネット上での議論を見ていて、私は若干の違和感を覚えました。それらの代表的と思われるものをいくつか紹介しておきます。
研究者taitaiのブログ「自民党・徴兵制報道 自民党否定 それで納得できる?あなたは誰を信じる? 疑問を詳細に合理的に検討」Apes! Not Monkeys! はてな別館「『検討を示唆』って、その通りじゃん」きっこのブログ「自民党が徴兵制の導入を検討」共同通信の該当記事はこちらです。
自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ 2010/03/04 20:49 これらに共通しているのは、自民党憲法改正推進本部はやはり徴兵制の導入を検討しようとしている、というものです。しかし、私はそうだとは考えません。無論、私は徴兵制に反対しますし、自民党の中に徴兵制の導入を望む者がいるであろうことも否定しません。ですが、この論点整理の狙いは別のところにあるだろうと私は考えています。
私の考えを表明する前に、これらの議論及びそのもととなった共同通信の報道について、その問題点を指摘して置きましょう。
第一は、自民党憲法改正推進本部が徴兵制の導入を検討しようとしているという判断の根拠が、「論点整理」のなかの「民主主義国での兵役義務の意味と、軍隊と国民の関係を検討する必要があるのではないか」という部分だけに求められていることです。自民党が過去にどのような改憲案・改憲構想を出してきたのか、また、これまでどのような改憲案・改憲構想が出されその中で徴兵制がどのように位置づけられているか、などが考慮されていません。後述するように、90年代以降の改憲の動きの中で、徴兵制導入の位置づけは極めて低く、むしろ必ずしも必要なものではないと考えられているのです。
第二は、軍事をめぐる国家と国民の関係が、徴兵制とそれに付随する制度に限定されて考えられていることです。軍事をめぐる国家と国民の関係は、これにとどまらず、軍事機密の保護、戦争についての教育のあり方、戦死者に対する追悼と顕彰、軍事物資の調達、戦時における民間施設の使用など、多岐にわたるものと考えられなければなりません。
第三は、徴兵制導入が改憲の目的と捉えられていることです。そもそも徴兵制はなにかの目的たりえることは決してありません。徴兵制は、帝国主義の時代になって戦争形態が変わった際にそれに適合的な兵隊の集め方として、つまり手段として近代国家が採用したものであって、現代の戦争を遂行するのに必要な軍隊を形成する方法としてはそんなに有効なものでも、必要なものでもないのです。この点についても後述します。
以上を前提としつつ、まず90年代以降現在まで続いている改憲論について概括し、その上で今回の「論点整理」を批判的検討します。そして、現在の改憲に反対する立場が考えるべきことを指摘します。
2.改憲論とその現動向 改憲論とその動向については渡辺治による優れた、包括的な研究があります。以下の記述はそれにかなり依拠していることをおことわりしておきます。改憲論については渡辺治が編集者の一人として参加している『ポリティーク11号特集現代改憲の新局面』(旬報社、2005年)を、民主党政権下での改憲動向については渡辺治ほか『新自由主義か新福祉国家か』(旬報社、2009年)所収の渡辺論文を、現代の戦争については渡辺治・後藤道夫編『講座戦争と現代1「新しい戦争」の時代と日本』(大月書店、2003年)の総論を参照してください。
2-1.90年代改憲論のねらいと要因 日本国憲法の改憲論は1950~60年代と80年代に2回の波をみていますが、現在の改憲論は、1990年の湾岸戦争を直接的な契機として迎えた第三の波であるといえます。とくに1999年以降に改憲案・改憲構想のラッシュが起こり、2007年の自公惨敗以後は停滞を見せています。
この時期の改憲論の特徴は、戦後第三の波であるということの他に2つあげられます。第一は、常に改憲論の焦点となってきた第9条だけでなく、日本国憲法の全面改正が主張されていることです。第二は、改憲論の担い手が、それまでのように生粋の改憲論者・保守政治の傍流だけでなく、保守政治の本流、政党や大マスコミなどにも広がっていることです。
そのねらいはなにかというと、これも2つあります。一つ目は、9条を変えて集団的自衛権の行使ができるようにした上で、海外での武力行使を可能にすること、二つ目は、新自由主義に適合的な国家をつくることです。
このような改憲論が出てきた要因として、3つ指摘できます。
第一に、PKO法、周辺事態法、有事法制、アフガン・イラク特措法など、自衛隊海外派兵を進めていく中で、第9条とりわけその第二項が海外での自衛隊による武力行使を可能にする上で大きな壁になっていることが明らかになったことです。第9条のもとで存在してきた自衛隊は、強い平和運動などの護憲勢力の力や、自衛隊の海外派兵をかならずしも必要とせず、自らの支配を憲法に適合的な形にすることで安定を保ってきた保守政治によって、さまざまな縛りが課せられていました。その中の最大のものが、9条第二項から導き出された集団的自衛権の不行使ですが、これを認めようというのが現在の9条改正論です。
第二に、構造改革、新自由主義の政治を進めていく上で、それを可能にするような国家のあり方を構想するものとして、憲法が注目されるようになったということです。これは改憲論の中で2つの潮流として表れました。一つ目は、首相のリーダシップ強化、参院廃止、道州制の導入など、構造改革を恒常的に進めるための統治機構改革を主張するもの。二つ目は、家族の保護、天皇の元首化、国民の保護規定の強化など、構造改革によって生じた社会統合の破綻を保守的な形で解決しようとするものです。新保守主義と呼んでおきましょう。なお、この2つの潮流はお互い相反するものではないということを付言しておきます。
第三に、改憲を可能にするような政治状況が整ったということです。つまり、細川内閣以後進められてきた政治改革の結果として、社会党が自衛隊合憲・安保容認を打ち出して衰退し、保守二大政党制が定着するに至ったということです。改憲の発議に必要な国会両院での3分の2以上の多数を占めることができるようになる条件が、できたということになります。
2-2.改憲論での徴兵制の位置 以上が現在の改憲の概括ですが、その中での徴兵制の位置は、極めて低いものと言わなければなりません。自民党が出してきた改憲案の中で最も明確に集団的自衛権の行使を打ち出している
憲法改正草案大綱の第三章においても、徴兵制の導入は明確に否定されています。
なぜ徴兵制の位置づけが低いのか。これは、国民間の徴兵制への忌避感情が特に強いこと、そして、現代の戦争、9条改正の結果日本が参戦するであろう戦争が、徴兵制を必要としていないことがあげられます。
後者について説明します。現代の戦争の最大の特徴は、地域紛争やテロ、地域覇権国(例えばかつてのイラク)の侵略などに対し、アメリカをはじめとする大国が介入するところにあります。その結果、介入するアメリカなどの大国の側からすれば、自らとは軍事的・経済的・政治的に圧倒的に下位の相手と戦うことになりますから、非総力戦として戦争が遂行されることになります。また、第二次大戦以後、かつての総力戦を戦った諸国が、アメリカも含めて、自国の起こす戦争に国民の同意を取り付けることに腐心し、総力戦体制を変更せざるを得なくなったという事情も存在します。
2-3.鳩山政権下での改憲動向 以上のような特徴をもつ現在の改憲論が、鳩山政権誕生という、戦後政治史上画期的な事態の下で、いかなる状況にあるのでしょうか。最新の状況も踏まえると、大きく言って2つ指摘しておきます。
まずは、明文改憲は当面の間できないということです。鳩山首相本人が、参院の本会議で任期中の改憲について明確に否定しましたし、民主党憲法調査会で会長を歴任した仙谷・枝野両人は大臣を務めており、民主党内でリーダーシップをとって国会で開店休業中の憲法審査会を始動できる人物はいません。民主党内で国防に詳しく、9条2項を改正して集団的自衛権行使を可能にせよとはっきりと主張してきた前原誠司も、今は国土交通大臣として様々な課題を抱えており、改憲どころではありません。
では、かつて改憲案を出したことのある小沢幹事長が明文改憲を主導することはありうるかというと、これもありえません。理由は2つです。一つ目は、小沢氏本人が国連安保理での武力行使容認決議があれば現憲法の下でも自衛隊による海外での武力行使が可能だと一貫して主張しているように、9条明文改正の位置づけがそれほど高くないこと、2つ目は、選挙戦略の関係で、国民世論の多くが反対している明文改憲が避けられているということです。
改憲の現動向で指摘しておかねばならない2つ目は、9条を改正せずに自衛隊の海外派兵を可能にしていく、解釈改憲を進めることも、困難な状況にあるということです。政治と金の問題、普天間基地移設をめぐる迷走、先の見えない財政運営などで、鳩山内閣の支持率が下がり続けているという状況が生じています。課題が山積していることもさることながら、民主党が改憲が必要な最大の理由として掲げていたのが、度重なる解釈改憲による憲法秩序と立憲主義の破壊でした。
ただし、解釈改憲が困難になったとはいえ、それがなされる要因は消えていませんし、解釈改憲への動きがないわけではありません。防衛大綱の見直し作業や、国会法改正によって内閣法制局長官の答弁を禁止し、内閣が憲法解釈の責任をもつという動きには、注視しておかねばなりません。
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